こんにちは、生きる(@loveho_z)です。

こんにちは!
前回の記事で、〆切を次の誕生日(7月13日)って決めたんですけど、なんの〆切かは決めてませんでした。

さっき決めました!
〆切の日(2021/7/13)までに幸せになってなかったら即死亡。

これでいこう!
幸せの定義は、「没頭するものがある」でいきます!(「没頭」の定義は次回説明します)
〆切の日までに何か没頭するものが見つかればOKです!

簡単だね!
ということで、今回はその結論に至るまでの経緯というか、おもに「幸せ」について調べたことなどを書いていきたいと思います。
幸せについて
あなたがそう思わなければ、悲惨なことは何もない。その一方で、あなたが満足しなければ、幸福は訪れない
ボエティウス(「しあわせ仮説」より)

「幸せ」について、いろんな人がいろんなことを言ってたので、少し紹介します。
幸せになるのに必要なのは、質の良い人間関係のみ – ハーバード成人発達研究(ハーバード大の研究)
幸福に関する最長の研究からの教訓」
精神科医でハーバード大学医学部教授のロバートJ.ウォルディンガーさんが発表した、TEDの動画です。
数世代、約75年に渡る研究でわかったのは、私たちを健康に幸福にする秘訣は、良い人間関係に尽きるということでした。

自分には、あんま関係ないなと思いました。
幸せは年収が高ければ高いほど良い – マシューA.キリングスワース?
Twitterでフォローしてる方が、上記のツイートをリツイートしてるのを見て知ったんですけど、年収は高ければ高いほど幸福が増すという論文が最近(2020年11月)出たみたいです。
以前は、年収7万5千ドル(約800万円)くらいで幸福度は頭打ちと言われてました。(行動経済学を代表する学者、ダニエル・カーネマンの論文で)

これも自分には関係ないですね・・・。ただ、自分で論文を探して読めるようになりたいなぁ。。
幸せは相対的なもの – いろんな人

相対的っていうのは、何かと比べて判断するってことです。。(逆は、絶対的)
例えば、
- 自分は年収1,000万円、他の人は年収2,000万円の世界
- 自分は年収500万円、他の人は年収250万円の世界

どっちがいいか聞かれたときに、2を選ぶ人が多いらしいです。
自分の年収が高いかどうか(絶対)より、他の人と比べて自分が勝ってるかどうか(相対)を重視します。
なにかものを買うときも同じです。
車を買うときの高額なオプション(カーナビ3万円とか)は、その場の気分で付け足すけど、白菜が数十円安いというだけで、遠くのスーパーまで野菜を買いに行く。

金額だけで考えると、車のオプションは気軽に付け足せるようなものではないんですけど、車の値段が基準になるので、安く感じてしまいます。
行動経済学だと、そういう基準になる金額を「アンカー」と言って、まったく根拠のないデタラメな数字でも一度意識してしまうとその数字を基準に考えてしまうらしいです。

「100万円の商品を半額の50万円で!」って言われると、もともと50万円の価値のものだとしても、100万円がアンカーになってるので安く感じてしまいます。
あとは、松竹梅みたいに選択肢をいくつか用意された場合とか。
お寿司を食べたいときに、お寿司10貫800円だけがスーパーにあっても買わないけど、お寿司10貫、梅600円、竹800円、松1,000円があった場合、600円の梅を買わずに800円の竹を買ってしまう。
同じ800円でも、比べるものができると行動が変わってしまうことがあります。

セブンイレブンの底上げ弁当とかもそうかも。
お弁当1コ1,500円とかに値上げされると、さすがに「ちょっと遠いけど、ほっともっとまで行くか」ってなるけど、変わらず500円前後で売ってたら、なんか量が少なくなってても買ってしまう。

量は減ってるんですけど、値段があんまり変わってないので、今までと比較して同じ(=損してない)と判断してるんだと思います。
こういうような話は、行動経済学を勉強したら出てきます。



話がそれました。。
ものを買うときだけじゃなく、「幸せ」についても、「他人との比較」、「自分の理想との比較」、「過去の自分との比較」など相対的な基準で判断することが多いみたいです。

「〇〇より年収が多いから幸せだー」とか「昔は正社員だったのに、今はフリーターになってしまったから不幸だー」とか。
相対的な基準で幸せを判断すると、他者(もしくは自分)との比較で、幸不幸が決まります。
ずっと幸せだと思って過ごしていても、ある日突然、自分と似た境遇で自分より幸せな人が現れたら、自分が変わってなくても不幸になったように感じるということです。
そういうことがないように、なるべく自分の中に絶対的な基準を持つようにしないといけません。

というか、見てしまうと本能的に比較してしまう気がするので、なるべく見なくていいものは見ないようにするのがいいような・・・。


ちなみに、自分は、つい他人と比べてしまう(妬み嫉みの感情が出る)ときがあるので、必要ないときは他の人(妬み嫉みの対象になりそうな人)を見ないようにしてます。
Youtubeは「チャンネルをおすすめに表示しない」をクリックしとけば、見たくないチャンネルは出てきません。
テレビはまったく見ないですし、SNSもあんまり見なくなりましたし、ひきこもりですし、人と比較してしまうような状況はほとんどなくなりました。

比較がないと、競争心がなくなるとか、情報が入ってこないとか、デメリットもありますけど、今の自分の状況だとたぶんメリットのほうが大きいです。
人のことは気にせず、マイペースにいきたいと思います。
幸せとは自分で決めるもの – いろんな人
上機嫌など存在せず、気分というのはいつも悪いもの
「まんがで身につく幸福論」より
→だから幸福とは、すべて意思と自己克服とによるもの
物事に良いも悪いもない。心が善悪を作るのだ
シェイクスピア
私達の今日ある姿は、私達の昨日の思考から成り、私達の今日の思考が明日の生活を形成する。人生は、私たちの心の創造物である。
ブッダ
もし汝らが外にあることがらに悩まされるなら、汝らを悩ますのは汝らのそれらに対する判断である。そして今その判断を消し去るのは汝らの力の中にある。
マルクス・アウレリウス
人はものごとをではなく、それをどう見るかを思いわずらうのである
エピクテトス
この世界にはもともと、善悪も優劣もない。あなたが「善い」と思うから「善くない」が生まれる
老子(「老子の教え あるがままに生きる」より)

上の言葉たちは、必ずしも幸せについて語っているわけじゃないんですけど、近いものがあるのかなと思って引用しました。「何が起こったかより、自分がどう感じたか。どう思ったか。そして、どうするかが大事だ」みたいなことを言ってます。
「幸せ」も、結局は自分が幸せだと感じるかどうかが重要なので、自分で自分がどうしたら幸せになれるのか決めていくしかないのかなぁと思ったりします。

自分が本当に好きなことなんて、ホントに深いところでは自分でもわからないんだから、結局は「自分はこれが好きだ。これをやってるときが幸せだ」って決める必要があるのかも、、?
わかんないですけど。
人生の意味はあなたが自分自身に与える
「嫌われる勇気」より

ということで、自分は今さら良好な人間関係とか、年収を上げていくとか、競争で勝つとかは難しいので、好きなことに没頭する人生でいこうと決めました。
で、没頭ってなんだ、なんで没頭に決めたんだ、みたいのを続けて書こうと思ってたんですけど、長くなってきたので、次回にしたいと思います。

引用しすぎたかも?
自分の理性を使う勇気を持て
カントの言葉(「幸せになる勇気」より)

せっかくメモに残したから、つい引用したくなっちゃう。。

とりあえず次回は、「没頭」の定義とか、自分の幸せを「没頭」に決めた理由とかを書いていこうと思います。

今日はこれで終わりまーす。
おつかれさまでーす。

つづく!!!
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